ナナメ横から世間を眺める。

ニュースを取り上げてみたり、たまに多数意見に抗ってみたり。

「改元」について、ついでに色々考える。

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どうも、ジヤッキー天野です。

先に、「新元号「令和」に寄せて。」という拙文を上げた。

 

jackie-amano.hatenablog.com

 

そこから更にいろいろ思うところがあり、これも手短に、日記代わりに書き留めておく。(以下の内容は「令和」の漢字の意味とは関係ない)。

 

本文を起筆するに至ったきっかけは、ふとこう思ったことである。

 

「もしかして近現代史における我々日本国民は、元号が代わるたびに気が大きくなって、先の見えないチキンレースに駆られてしまう性分があり、それで痛い目に遭う特性を持っているのではなかろうか。」

 

仮にそれが正しければ、我々はそのことにより自覚的であらねばならない。

 

平成。

昭和末期から続く好景気は昭和天皇崩御による自粛ムードの終了と体を入れ替えるかのように更なる上昇基調を見せ、平成元年末には日経平均株価は史上最高値を記録する。のちに言うところの、バブル景気である。バブルは程なくはじけ(というか爆発に近い)、所謂失われた20年へと突入する。

 

ひとつ飛ばして、大正。

大正元年は、荒ぶる陸軍が軍部大臣現役武官制を口実に一悶着を仕掛け、そのために第二次西園寺公望内閣が総辞職するという波乱から幕が開く。国内は護憲運動で揺れ、その鬱屈した空気の矛先は程なく海外に向く。大正四年、対華二十一か条の要求。大正六年、シベリア出兵。

 

明治。

今となっては明治維新の良いイメージが先行するが、その幕開けは凄まじい内戦、すなわち戊辰戦争だ。「勝てば官軍、負ければ賊軍」の由来である。征韓論が台頭したのも明治初期。

 

戻って、昭和。

今となっては高度経済成長を遂げジャパンアズナンバーワンを謳歌した良き時代と思っている人も多いかもしれないが、始まって30年ほどは、とんでもない時代だったのだ。あまり多くは書かないが、経済恐慌、軍部の台頭と暴走、大戦、そして戦後の混乱…、まったくもって壮絶な時代であった。

 

こう見ると、元号が変わって10年のうちに、何もなく平穏無事に過ぎていった時代が、ないのだ。

そして、いずれも帝国主義の台頭や世界的な経済のトレンドといった外的要因に原因を求めることも不可能ではないものの、(こと大正以降は)日本国民に少しばかりの自制が利いていればどれも避けられたのではないか、ともいえまいか(ちなみに当文章では敢えて震災や凶作のたぐいには触れていない)。

 

きたる令和の世が無事であるようにと、手を合わせて拝むばかりである。

 

で、もっと言うと。

いま現在の空気に一番近いのはいつか。

 

考えたくはないがそれはもしかして、昭和の初期ではなかろうか。

 

何も、国家権力の在り方についてのみ申しているのではない。先のブログにも書いたが私はアベガー側の人間ではない。

 

懸念しているのは、マスコミだ。

 

そう書くと「だろ!マスゴミガー」と言い出す人もいるだろうが、そういうことではない。

 

マスコミは、我々自身が映る鏡に他ならない。

 

2011年のNHKスペシャルのURLを貼る。

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」

第三回 「熱狂」はこうして作られた

https://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20110227

 

(以下引用)

日本が戦争へと突き進む中で、新聞やラジオはどのような役割を果たしたのか。新聞記者やメディア対策にあたった軍幹部が戦後、開戦に至る時代を振り返った大量の肉声テープが残されていた。そこには、世界大恐慌で部数を減らした新聞が満州事変で拡販競争に転じた実態、次第に紙面を軍の主張に沿うように合わせていく社内の空気、紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、そして庶民の支持を得ようと自らの言動を縛られていく政府・軍の幹部たちの様子が赤裸々に語られていた。
時には政府や軍以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を進む主役の一つとなった日本を覆った“空気”の正体とは何だったのだろうか。日本人はなぜ戦争へと向かったのか、の大きな要素と言われてきたメディアと庶民の知られざる側面を、新たな研究と新資料に基づいて探っていく。

 (引用おわり)

 

うーむ。

なんだろう、この既視感。

 

最近の、とかく何事にもシロクロをつけようとし、悪しきと思しきことを徹底的に断罪する、TVのワイドショー、そしてコメンテーター。

なぜ、そうするのか。そのほうが、視聴率が取れるからだ。

 

最近の、思想的な立ち位置を表明することをはばからず(左右ともに、ね。)いちだんと扇情的な表現を採ることを厭わなくなってきている、新聞各紙。

なぜ、そうするのか。そのほうが、買ってもらえるからだ。

 

最近の、あることないこと書き立てて、火種発見と判断するや否や懸命に火をくべて油を注ぐ、ネットメディア。

なぜ、そうするのか。そのほうが、ページビューが稼げるからだ。

 

過激な内容のツイッターが多くの「いいね!」を集め、断定的で下品なコメントに夥しい数の「赤ポチ」が集まるという事実。

 

バランス感覚なんて、くそくらえ。

多面的なものの見方なんて、ドブに捨てて流しちまえ。

「立場」とか「事情」なんて言葉が書いてある辞書は、墨汁で黒く塗りつぶしてしまえ。

正義が勝つんだ。そして、俺が、正義だ。私が、正義だ。

 

大丈夫か。

大丈夫だろうか。

 

折しも全世界的にナショナリズム的な空気が鎌首をもたげつつあるこの時代に、我々は正気を保ち続けることができるのだろうか。

 

このキナ臭さ漂う鬱々とした空気感が、改元とともに一段と加速度を増し、絶望的な結末を迎えるようなことがないように、これも心から祈るよりない。

 

もしタイムマシンがあったら、戦後間もない頃の断腸亭主人こと永井荷風に会いに行きたい。

現状を示したうえで、「このあとどうなると思います?」と問うてみたい。

かなりの変人らしかったので、会ってくれるかはどうか定かでないが。

 

とはいえ、だ。カナダの心理学者のエリック=バーンによると「他人と過去は変えられない」らしい(ただし「自分と未来は変えられる」と続く)。

でもって、アンガーマネジメントでは「6秒こらえて、深呼吸。」が効果的らしい。

 

とりあえず自分は粛々と、深呼吸を続けていこうと思う。

 

※なんかすみませんね慶祝ムードに水を差すようで、なにしろ天邪鬼なもので。

新元号「令和」に寄せて。

どうも、ジヤッキー天野です。

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今回はごく手短に、先ほど決まった新元号に関して、自身の日記代わりに書き留めておく。

 

昭和生まれの者にとってはまずもって、このように新元号が祝賀ムードのなか発表されるということに、ひとしおの感慨を覚える。昭和→平成のときは表現が適切かどうかわからないがバッタバタというか、途轍もない喪失感や悲壮感とともに慌ただしく新時代を迎えたものであるから、今回は実に心安らぐものがある。エンジニアの皆さんは大変だろうが「あと1か月」というタイミングも、いま思えば絶妙だったかもしれない。

 

で、令和に決まった。

ほう。はあ。うーん。

NHKに映っていた渋谷のみなさまも、一瞬リアクションに間があったようだ。

いやいや、元号なんてそのようなものだ。いまの元号と比べて「慣れ度」が違う。ウッヒョーかっけーなあ最高だぜぇ!とはなるはずもない。じきに慣れる。

私も日本国民の一人として、きたる新元号を大事にして、よき日々を送ってまいりたい。

 

ただ、初見において一抹の懸念があった。ドキリとした、という表現がより正しい。率直に書き留める。

「令」という漢字だ。

 

先に断っておくが私は「アベ政権打倒!」側の人ではない。政治思想的には中立に近い(それノンポリだろとの批判もこの際甘受する。どうでもいいけどなんでそっち側の人ってカタカナ好きなんだろうね)。正直に告白すれば、これまでの幾多の「決まらなかった、決めきれなかった」政権のことを考えれば…、との思いもある。

 

そのうえで、だ。

 

ほほう、令にはよいという意味があるのか。初春の令月にして気淑く風和らぎ…と聞くとじつに美しい。あ、たしかに令嬢とか言うもんな。

 

さはさりながら、平成31年現在の辞書で令の字を引くと、こう出てくる。

 

いいつける。命ずる。

きまり。おきて。

 

命令の令。

号令の令。

指令の令。

法令の令。

禁令の令。

訓令の令。

戒厳令の令。

 

さらに穿った見方をすると、和の文字。総理は和を以って貴しとなすと色紙に認めるのを好むとNHKでやっていたが、あれ「みんな仲良く」だけの意味では必ずしもないと思っており。

 

和を以って貴しと為す、さかふることなきを以って宗とせよ。

 

公共の利益を追及するためには、私利私欲を捨て、派閥や党利党略を超えた議論をせよ。そして仏教を信じ、天皇(飛鳥時代においてはイコール権力、のこと)のもとに一致団結せよ。

 

みたいな真意があったように、どこかで読んだ。

 

とすると、令和。

 

「日本はこれから未曾有の国難に突入する。それに抗するためには、瑣末な私利私欲など捨てて国のために一致団結せよ。そのために様々な命令や指令でもって国家の統制を図っていくが、決まりごとには従うのが国民の務めである。」

 

という、じつに全体主義的かつ統制主義的なスローガンにも、読めなくもないのだ。

 

もちろん、かなり穿った見方である。真意はそんなところには決してないと信じたい。それは、令和の世のうちに出てくるであろう憲法改正案を読んで、この目で確かめたいと思う。あと、何年か後にこのブログが(自分の手以外によって)削除されていないかどうか、ってのもあるかな。

 

さて、それはそれ、これはこれ。今般の元号改正に携わった方々、特に事務方の方々には国民の一人として衷心からの労いを差し上げたく思う。まさしく人に言えないご苦労があったでしょう。僕みたいに後付けでブログやら何やらでケチつけるのは、簡単だもんね(笑)。

よい世の中になりますように。日本が平和でありますように。僕にできるのは持ち場を守ること、すなわち国民の三大義務を引き続き頑張っていこうと思います。

「笠松競馬の教育担当者」を全面的に支持したい話。

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どうも、ジヤッキー天野です。
先日電車で「桜なんてトットと散っちまえ、ガーッハッハ」と会話してる人がいました。病んでますね。

 

さて、なかなかグッとくるニュースの話。

 

笠松競馬で、入社前の新人がツイッターで色々呟いたところ研修担当者から公開説教された、そうな。

headlines.yahoo.co.jp

 

ニュースによるとこの研修担当者には賛否両論、一部炎上しかかっているとのこと。

 

あのね、何でもかんでも炎上させりゃいいってもんじゃないよ。

 

断言する。この研修担当者は100%正しい。
いや、一億二千三百万パーセント、正しい。

 

どこから説明したものか。
じゃあ、まず。これから社会に入る人、あるいはバイトを始めようという人は、就く仕事の特性というものをよく考えておいたほうがよい。

 

どの業界にも、「ならでは」とか「そこだけは譲れない」というものがある。それが分からない人は、その仕事に就いてはならない。

 

流行のバカバイトで言えば、例えば夜誰もいない衣料品売場で「わーいよりどりみどりだあーい」とファッションショーをやったバカがいたとして、まあそれも大概バカだが、食い物屋でバカやるのはそれとは全然レベルが違うってことだ。
食い物は、下手を打つと命にかかわるんだ。

 

あるいは、普通の事務所でボールペン1本コッソリ頂戴しても(悪いことだが)さほどおおごとにはならないだろうが、小売業で売り物のボールペン1本くすねたら、即解雇でも文句は言えない。どんなに安かろうと。どんなに偉かろうと。厳しいと思われるだろうが、そんなもんだ。
だって、小売業の中にいる人が売り物に手を出したら、小売業が成り立たなくなるんだ。

 

そこんとこをまず、よーく考えるべきです。

 


で、本件。笠松競馬は公営競技、いわゆるギャンブルだ。
この業界における譲れない点とは何か。

 

ギャンブルには、金が絡む。
金が絡むと人は豹変する。
そして、荒れる。
悪の道に堕ちる者もいる。

 

さよう、公営競技における最大の天敵は「不公正」、ひらたく言えば「八百長」である。

 

公営競技に従事する者は、公正な競技の成立にとことんナーバスだ。絶対におかしなことが起こらないよう、さらには絶対に疑われないよう、それはそれはエグいほどに、徹底的に注意を払う。

 

なぜなら、負けた連中が「いまの八百長だろ!」なんつって暴動を起こしてはたまらんのである。そう、ギャンブルは常に負ける人の数≧勝つ人の数なのである。
(暴動なんてそんなハナシまさか…とお思いの方、是非「浦和競馬 暴動」とか「園田焼き討ち事件」とかでググってみてください。)

 


さらに言えば今般の指導は、本人の身を守るためでもある。

 

繰り返すが金が絡むと、人は怖い。昨今の公営競技は随分クリーンになったが、それでも色々な人はいる。

 

夜な夜な帰りすがらに半分ラリった人から、

「よおニイちゃん、競馬場の人だろ?今日オイラが一文無しになったのはテメエらのせいだよお、有り金全部ココにおいて腹切れよお」

だの、

「アンタ、競馬場の人だろ?明日の3R何がくるか教えろよお。何、分からない?だったらテメエで本命馬に毒盛ってこいや。ホラよお」

だの絡まれないとも限らない。氏素性は軽々しく明かさないのが吉だ(ましてこれから相応の立場になることを期待されているはずだ、馬券売りのパートさんとは訳が違う)。

 

あとついでに言うと、人も怖いが馬も怖い。緩んだ気持ちで馬場に立ってたら、蹴られて死ぬぞ。…という戒めも、これまた大事かもしれない。

 


ここまでは、なんとなく共感頂ける方もいるだろう。いっぽう別の論点として本件は、ツイッター上の公開説教であった点が問題となっているようだ。Yahoo!ニュースのオーサーさんも「裏で対面で指導すべきだった」という趣旨のことを書いている。

 

一般論としては正しかろう。褒めるは皆の前で、叱るは裏でというのはマネジメントの教科書にもよく出てくる。

 

が本件に限っては、私はこの研修担当者を断固支持する。

 

内定者がツイッターでつぶやいた、あとでコッソリ叱られた、ではハタから見て「情報が非対称」なのである。第三者には裏の話など知りようがない。
それでは、公正を絶対とする公営競技にとって、シメシがつかんのである。
大衆が認知可能なように敢えて大仰にやりとりするのが組織にとっての唯一最善の防衛策であったと、私はこの研修担当者を高く評価したい。
そう、しつこいようだがこれは凡百の会社で起こっていることではない、公営競技の話なのだ。

 


さて、件の若者は今頃事の大きさに恐れおののき、震えているかもしれない。
大丈夫だ、若者よ。まだ救いの道はある。

 

何より、頭冷やして4月に来い、と言われているのだ。

 

この件、下手すれば内定取消しでもおかしくない案件との見方も、できなくはない。レベル的には、「**県警に引っ掛かりましたー。しばらく大人しくしてますが半年たったら拳銃下げて職務質問しまくるぞー」と呟く人にどうして街の治安を任せられようか、ぐらいの話と同等である。

 

上の「情報の非対称」に照らしていえば、一番シビアにやろうと思えば、

 

【謹告 SNSの不適切利用の件につき、当該内定者の内定を取消しましたのでお知らせします。今後とも安心してお楽しみください】

 

ニュースリリース1枚で済ませようとすることも、できるといえばできる(その場合、経済的な実害が発生していない中での内定取消しの是非という別論点は発生するが、その話はここでは於く)。

 

それをせず、なお教育をもってなんとかしようとしているということは、笠松競馬には愛があるということだ。パワハラ?逆だね、それは。

 

まずはツィッターから別アカ含め一切の痕跡を消し(あ、消すなと言われてるんだっけ)、あらゆるSNSとしばらく距離を置き、そして4月1日には全力で詫びを入れることだ。

 

そして、3年はガムシャラに頑張ること、そして認められることが自らを救うと申し上げたい。


なぜか。思うに本件は、笠松競馬、いや全国の公営競技中央競馬地方競馬、競輪、競艇オートレース…で、「SNSの利用に関する不適切事例の教材」として広く扱われていくことになるだろう。その度に若者は、肩身も狭く、いたたまれない思いになるだろう。ただ3年も経てば、そしてそのときに相応の信頼を周囲から獲得できていれば、「あの時自分は若かった」と笑い話にもできるはずだ、きっと。そしてそれが何故いけなかったのかを、さらに若い後輩達に指導できるはずだ、圧倒的な説得力をもって。


若者よ、夜道ばかりではない。頑張ろう。

 

あといささか妄想含みで若者の肩を持つとすれば、この人は本当に心の底から競馬が好きで(そうじゃなきゃそもそも入職しようとしないはずで)、マイナーで財政的にも苦しい地方競馬に親しみを持ってもらえればという思いが、もしかすると根底にあったのかもしれない。だとすれば、いささかは心情を汲み取るにやぶさかでない。
ただ、手段を間違えては、パーだ。

 

若者には頑張って一通りの仕事を覚えて偉くなってもらって、ぜひ「笠松競馬の中の人」として、オフィシャルに呟く人になっていただきたい。
そして願わくば、「攻めた中の人」になっていただきたい。

 

公営競技の性格ゆえ、内容的にあまりにカカッたり斜行したりすると審議になるかもしれないが、競走中止にならないギリギリのところで折り合いを付けられれば、きっとビクトリーロードが見えてくるだろう。

 

で、いつの日か、「なんか最近の笠松競馬場ツイッターってヨソより断トツに面白いよねー」とか、あるいは「最近の笠松競馬のツイッター、どマニアックでタマらんな。これよこれ、ワシゃこういうのを待っとったんじゃ」みたいな声がチラホラ聞こえてきて、ああもしやあの時の若者が…などと想像する日がきたら、幸せだろうなあ…。なーんて、ボンヤリと思ったりするのである。

セブンイレブン24時間営業騒動への、いささかの違和感。(後編)

どうも、ジヤッキー天野です。

 

前回の続きとして、セブンイレブンの件を取り上げる。

 後半では、期せずして社会問題化した件について考える。

 

違和感その2。

セブンイレブン、相当叩かれてますなあ。

でさ。

なんで、セブンだけなん?

ローソンは?ファミマは?ミニストップは?

 

リーダー戦略を採る企業の宿命といえばそれまでなのかもしれないが、今の叩かれ度はちと酷に感じる。皆ナナコ持って散々利用しているだろうに。セブンってそんなに社会悪だったか?
(ちなみに過去記事を検索したところ、ファミマはかつて営業時間短縮の検討をしているらしい。ただその後その話を聞かないので、多分上手くいっていないと思われる。その理由と推察される点は後述する)

 

違和感その3。
本件について、関西経済界からも苦言が呈されたらしい。

news.livedoor.com

ほお、モノ申したのは銀行さんとメーカーさんですか。これだいぶ妄想含みになるけど、こういう時に小売って本当格下に見られるんだよなあ。士農工商なんていまどき言ったら怒られるかもしれないけど。


もっというと、なんでBtoBの企業ってBtoCの企業に対してあんなに優越感を持ってるんだろうね。銀行の中でも序列はホールセール>リテールらしいし。

そこまでいうなら、世の中の工場も全部3交代勤務とかやめりゃあいいのに。製鉄所とか止めたらとんでもないことになるけど。

 

違和感その4。ここが一番大きい。

「終夜営業止めましょう」「ほい、止めました」なんて簡単にできるのかどうかを想像している人が、どれほどいるだろうか。
そして、それは一企業の経営にとどまらず、結構なおおごとではないかと想像する人が、どれほどいるか。

 

一つには、物流。

夜中に多くの商品の配達と荷受及び陳列を済ませるオペレーションが、ガッチリ組まれている筈だ。その夜間の配送ルートは複数店舗にまたがり、鉄道のダイヤ並みの緻密さだと思う。

これらのトラックが全部日中に出てきたら、道路がたいがい混むぞ。それ、どうすんだ。
あなたの家の前の生活道路を、コンビニのトラックが日中バンバカ走るかもしれないぞ。なんなら、お子さんの通学時間帯かもしれないぞ。それ、どうすんだ。

配送を夜中のまま据え置くとすれば、閉店中の薄暗い店内に陳列要員を待機させておく…という訳にもいくまい。だったら開けておいても同じ、となる。

(強いて言えば、本部採用で陳列キャラバンを組成してマイクロバスを仕立ててトラックと並走させて流れ作業で捌いていく、という方式はアリかもしれないが。というかあのセブンなら、既に考えてそうな気もする。しかしながら、キャラバンの人件費の多くが「店間の移動時間」に費やされてしまうことを思えば、総コストはむしろ上昇する恐れもある。オーナーからその分のフィーの徴収は不可避で、店舗経営的にペイするかどうかは、まったく未知数だ。

あるいは、昔みたいに7時開店として、トラックドライバーに店の鍵を渡しておいて常温品は閉店中の店内に突っ込んでもらっておき、陳列は5時ぐらいからいっせーのせ、という方式もある。より現実的なのはこちらだろう。ただ、あいにく店舗の諸準備にかかる総人時がどれぐらいかかるのか、終夜営業と比べて人時が短縮できるかどうかをを知らないので、計算が成り立つかどうかはわからない。ちなみに成り立つ場合、次の問題が生ずる。)


二つ目には、雇用。

いま夜中に働いている人の多くが雇い止めになるかもしれないが、これをどうするのか。

日中も人手不足の折、うまくシフトできて経営的にもめでたしめでたし、がベストシナリオではある。ただ、そんなにうまくいくかどうか。なにより、夜にしか働けない人もいるだろう。

ちなみにブラック企業論でおなじみ今野晴貴さんは(この方、Ya○ooニュースでおよそ関係なさそうなニュースにナナメ45度の方角から絡みついてR:255 G:0 B:0みたいなオーサーコメントを放ちオルグ活動に余念がないので、いつも生温かく見守っている)、オーナー側の立場についているようだ。夜のバイトさんはどうする?オーナーのほうが労働組合費の払いがよいからバイトは切り捨て、という訳ではありますまいね。何、それも引っくるめて本部で全部面倒見ろってか?それは流石に自由主義社会を逸脱しているにも程があるでしょう。

 

で最後に、それとちょっと関連して違和感その5。

オーナーさんから悲鳴噴出、とのことらしい。

辛いのはお気の毒だが、ご自身で選んだ道だ。そこをやりくりするのが経営者の才覚である。

てか、上のほうにも書いたが、オーナーさんってそんなにみんな怒っているのか?そこまでしんどいならポプラとかセイコーマートに看板替えという手もなくはない、経営判断として(結果は保証しないが)。

で、ニュースを見てみると。

news.nifty.com

(一部引用)

大阪府にあるセブンイレブンフランチャイズ店が短縮営業を行ったところ、本社から契約解除と1700万円の違約金支払いを言い渡された件を受け、コンビニオーナーらで作る「コンビニ加盟店ユニオン」は2月27日、セブンイレブン・ジャパン本社に団体交渉の申し入れを行った。

(引用おわり)

 

コンビニ加盟店ユニオン」とな。

 

おう、ユニオンか。

ああ、ユニオンなんだ。

 

それ悪いけど多分、オーナーの総意を代表してないぞ。

 

これ会社の中の人が書いたら不当労働行為でどえりゃあことになるけど、俺部外者だからまぁいいや。

 

そのユニオンって、入ってんのはごく一部ですよね。

「今こそ立ち上がれ、皆さんはブルジョワじゃない、プロレタリアートなのだ」みたいに焚きつけられて勧誘を受けて入った方々、ですよね。

で、R255G0B0な感じでまくし立てる、アレですよね。

利益を主張し過ぎて会社が傾いて結局社員にトバッチリが来ては元も子もないから、何を主張すべきかを真剣に考えつつ労使にとってのよりよいあり方を模索していこう…みたいな建設的な発想は1ナノメートルも持っていない、アレでアレなアレですよね。

 

あーこりゃセブン先生、エラいもん食っちゃったなあ(米長永世棋聖風。わかる方だけわかればよい)。

 

申し訳ないけど、ちょっとそれは甘いんじゃない?

 

だってコンビニの看板って、それだけ強いもん。
自前の看板で個人商店を続けることに比べれば、圧倒的に力があるもん。だからみんなフランチャイジーになるんだもん。
たしかにフィーも高くて大変だろうさ。けど、客が来ないとそもそも始まらないってのは、商売の基本でしょう?ていうか、職業選択の自由を行使すれば済む話なんじゃないの?
メリットのみ享受して文句垂れてってのは、悪いけどそりゃちょっとズルイよ。
よその仕事場に拡声器持って旗振りに行く時間があったら、自分の店のレジ打ちをなされ。

 

コンサルタントの仕事に例えれば、ちとばかし頭に自信のあった奴がたまたまマッキンゼーかなんかに入ったものの全然使い物にならなくて、普通なら限界を感じて自ら去るところを「仕事がキツい!俺に見合った仕事を寄越せ!」と吠えてるようなものだ。いや、無理だから。というか出来る奴は出来てるもの。稼ぐ奴は稼いでるもの。甘えーよそれ。甘えーよ。

 

え、お前やってみろって?いや、やるつもりないもん、悪いけど。自分で選択しなければ、やることはない仕事だもん。経営の才覚のない俺には無理。

 

余談だけど、今回の件に憤慨している自営業や起業家の人、それなりにいると思うよ。みーんな、苦労してんだもん。コンビニのFCなんて上げ膳据え膳じゃないか、まだ贅沢言うか!って。私はサラリーマンですけども。

 

お、ニュースによるとセブンは断交を拒否したらしい。当たり前だ、そんなもの。1億パーセント正しい。

 

…ちょっとエキサイトしてしまったが、しこたま稼いでいる優良経営者オーナーさんのご意見も、是非聞いてみたいところである。そういう方の中には戦略論とかマーケティングとかモチベーションマネジメントとか一生懸命勉強されている人も多々いるだろう。ビジネスって弱肉強食よ、シビアだけど。

 

いろいろ感じた違和感は以上である。

もっともあのセブンイレブンのことだ、どう収束させようか、転んでもタダでは起きねーぞとスモールパッケージホールド的展開を狙っていることであろう。業界の雄として、今後の切り返しに期待したい。

 

で、とりあえずもし24時間廃止に成功した暁には、客の皆さんにおかれては、行ったコンビニで日中に通路塞いで陳列してても絶っ対に文句言ったらあかんぜよ、と強く主張して本稿を終えたいと思う。お粗末でした。

セブンイレブン24時間営業騒動への、いささかの違和感。(前編)

こんにちは、ジヤッキー天野です。

先日タクシー乗り場の行列で仕事仲間と「ジャパンタクシー来い!来い!」と盛り上がっておりました。あぁ小市民。

 

さて、セブンイレブンの24時間営業の騒動が大きくなっている。

ことの発端は、2月下旬のあるニュース。

セブンオーナー「過労死寸前」で時短営業…「契約解除」「1700万支払い」迫られる|弁護士ドットコムニュース |

https://www.bengo4.com/other/n_9269/

www.bengo4.com

記事を要約すると、コンビニのオーナーさんが配偶者を亡くしてしまったことをキッカケに事業継続困難となり、本部に時短営業を懇願するも敢え無く却下、どうしても辞めたければ違約金1700万を払え…。というものだ。

そこから諸方面に火がついて、セブンイレブンもやむなく営業時間短縮実験の着手に至る。

 

はい、天邪鬼発動確定。私の天邪鬼アンテナが、バッキバキにおっ立っております。ここらでちょっくら「少数意見」でも述べてみましょうか、と。

あらかじめ自分の立ち位置を示しておくと、短縮できるものならば、するに越したことはないと思う。「できるものならば」、ここがポイント。

あと、自分は新卒の頃小売に勤めていたけれど、それはコンビニ業界ではなく、またどちらかといえば7&i系は競合相手だったので、セブンイレブンさんに特段肩入れする意図はない。悪しからず。

 

さて、まずもっての大前提として、本件を語るにあたって「くだんの可哀想なオーナーさんのお話」と「社会問題としての終夜営業の是非」は、別の論点であろう。勿論前者が後者の議論創出の一つの契機にはなっただろうが、あくまで別次元のこととして問題を切り分けるところから始める。

 

そのうえで、違和感その1。
まずは、そのオーナーさんの件だ。

いや無論お気の毒である。さぞやお気落としであろうし、お辛いし、大変だろう。
それを承知で、自分でも鬼畜か閻魔かと思いつつ、敢えて申し上げる。

 

ビジネス的には、それってやっぱり、「契約不履行」だ。

 

オーナーと本部で契約をする。
オーナー側はフランチャイズ料を支払うとともに営業上の一定の条件を履行する。
それと引き換えに「看板」、すなわち強力な集客力とバイイングパワーとオペレーションのノウハウを手に入れる。これがあらゆるフランチャイズビジネスの基本だ。そしてオーナー側には、フランチャイザーを選ぶ権利がある。

で、セブンイレブンの場合、24時間営業は契約条件に当然入っているだろう。

だったら、どこまでいっても本件は「いま現在の契約における、契約不履行」と言わざるを得ない。

 

かくなるは、選択肢は3つ。

1。頑張って人を雇って、営業を継続する。そもそも、人の雇い方に長けていて複数店展開できるような「経営者能力の高いオーナー」でないと、かなり厳しい業界だと思う。同じ看板でオーナー間競合とかザラだろうし。

2。店を畳む。今回たまたまコンビニだから目立ったけど、個人商店で家族構成が変わって営業困難みたいな話は一般的にあることだ。
違約金の額はお気の毒だが、それも当然契約条件の内であるからには、致し方ない。
(そのうえで本部が減免や支払い猶予や分割払いを認めるかどうかは、裁量が入る余地はある。)

3。店を売る、または譲る。先に上げた「複数店持ちの経営者オーナー」がいるはずなので、潔く経営センスの差を認めて、渡す。引受先があればの話だが。

(ちなみに、そうした優良オーナーさんのなかには、今回の騒動をもかえって苦々しく思っている人も、いるかもしれない。こちとらうまくいってんだ、余計なことすんな、な人もいると思うのだが。目下この問題は「オーナー側の蜂起」みたいな報じられ方になっているが、その視座だけでこの問題を捉えると、構図を見誤ると思う。詳細後述。)

かように、選択肢は限られる。もっとも敢えて挙げるなら、開業時にあまーいセールストークで酔わされて「そんな話聞いてねえ」みたいなことが万一あれば、本部に過失ありの可能性もある。ただそれも自由主義法治国家たる先進国においては、ご負担だとは思うが、訴訟に持ち込むのが原則となる。

ということで誠にもって心苦しいが、例のオーナーさん問題については「仕方ない面もある。だって、ビジネスだもの。」との結論を持って、切り分けを済ませることとする。

 

さてここからは、期せずして社会問題化した件について考える。

 

(長くなったのでつづく)